【blog小説】ウト・ガリアラカロ・ココ 第二章

防衛大学医学

入試の論文で、

東北大震災に遭い被災した事、

母一人、子一人で
今は、仮設暮らしをしている事、

家には大学など、
行ける様なお金がない事、

震災で人間的に成長できた事、

自衛隊の医務管に助けられ
心から感謝した事、

母がひどい火傷を負い、
無理のできない躰になった事、

藤井さんに言ったことを含め、
思いつく事を僕は書きまくった。

僕が、被災者と言う事が
あったのだろう..

2012年春、
僕は、晴れて「防衛大学医学科」に
入学する事ができた。

僕は、自衛隊に入隊したのだ!

学校は、埼玉県所沢にあり、
生まれて初めて田舎を離れ、
寮生活をする事になった。

一番うれしかったのが、
母が心の底から、
喜んでくれた事である。

あんなに嬉しそうにしている、
母を生まれて初めて見た。

話の通り、現実は、
そんなに甘くはなかった..

新入生は、全員、
「ぼうず」か「スポーツ刈り」..

僕は、校内の散髪店に、
つれて行かれ、
生まれて初めて、

「ぼうず」にさせられた。

6時半の起床のラッパが、
なるまでは、ベッドから
出てはいけなく、

なったら速攻で毛布を畳み、
ズボンをはき、外まで走って
乾布摩擦をしに行く、

毛布が完璧に、たためて
なかったり、規則正しく
置かれていなかったら、

窓から毛布を投げ落とされ、
遅れた仲間がいたら全員、
罰としてランニングとなる、

このように、一日が始まる..

掃除には、全て決まりがあって、
順序を間違えると、

「そんなふうに習ったんか!」

と、激が飛び!

点呼の際に、服装点検があり、
シワがあったり、釦がちゃんと、
とまっていないなど

不具合があると罵声が飛ぶ、

こんな感じだ..

上級生

「おまえ、なんだここのシワは!」

1年生

「ハイ!」

上級生

「ハイじゃない!
なんでだって聞いてんだろ!」

1年生

「掃除が長引き、アイロンの
時間が取れませんでした!」

上級生

「なに!?それって掃除が
長引いたのが、悪いってことか?」

1年生

「ハイ!もとえ!イイエ!」

上級生

「フザケルナ!掃除が時間通りに、
終わらないのは、誰が悪い?
お前だろうが!?」

1年生

「ハイ!」

上級生

「さっきから、
ハイハイハイハイばかりだが、
お前ハイしか言えないのか!

お前ができてねえから、
連帯責任で、1年生全員で
腕立て伏せ!

姿勢とれ!」

全員が腕立て伏せの姿勢になる..

上級生

「1、2、3、...、後5回!
おい!ちゃんとアゴを上げろ!
4、3、2、1」

終わったかと思ったら..

上級生

「0.9、0.8、0.7..」

気を抜いた仲間が脱落する。

上級生

「なにサボってんだ!
罰にならないだろうが!?

よし、今日はこれでいい..
次の点呼の時は、しっかりやれよ!
分かれ!」

全員ヘトヘトになり解散、
このような事が毎日繰り広げられる..

ここでは、1年生は奴隷、2、3年人間、
4年は、神と言われている。

体力もなく運動音痴の僕は、
いつも団体行動教育で、

仲間の足を引っ張った..

どんなに頑張っても、
皆の行動に合わせられない、

上級生には、問答無用で、
叱られぱなし..

僕のせいで、何度も
全体責任として、
罰を受けさせてしまった。

みんなに申し訳なく、
みんなの前で顔を上げることが、
できなかった..

訓練については、陸上、海上
航空でかなり違う、

1学年は、要員が、
決まっていないので、

みんな共通、軍隊の、
基本動作のほか、
体力検定がある。

基準が決まっていて、
それをクリアしないと
補備教育がプラスされる。

[補備教育]

放課後に、ほかの学生とは、
別に走ったり、泳いだりし
体力をつける訓練、

いつも僕は、
補備教育がプラスされた..

最初は、これまで経験した
ことがない忙しい毎日で、

食事を落ち着いて食べる時間も
風呂にゆっくり浸かる
時間もなかった。

入校後、2週間経ってようやく
空いた時間を利用し、
母ちゃんに電話した。

久しぶりに、母ちゃんの
声を聞くと、

ふ~っと全身から、
力が抜けていき、

ただただ、
涙が溢れ止まらなかった..

多くの人間が、次々と
辞めていくなかで、

弱虫の僕が、なぜ耐えられて
いるのか考えてみた。

答えは、3つ見つかった。

1つ目は、僕には、
ここ以外、行く所がない、

つまり「背水の陣」なのだ、

2つ目は、同期(仲間)がいるらだ。
全寮制なので、いつどこにいても
同期の仲間がいる。

日夕点呼の際に、延灯申請を
しておけば、
22:30に就寝予定のところ、

自習をする場合に限って、
24時まで延灯許可される。

延灯時間中は、自習しなければ
いけない時間だが、誰かの部屋に
数人で集まり話をする..

通称"夜話"と言っているけど
すごく楽しみだった。

世間の学生であれば、
テレビを観たり、ゲームをしたり、
くつろいでいる時間だ..

僕たちは、
たわいもないない話はもちろん、

今日あった事や人生のことなど
毎晩同期と語りあったり、
色々な仲間と話す。

ということに、かなりの、
時間を費やした。

「あれ、つらいよな..」

「しんどいよな..」

と、言い合うだけなのだが、
ストレスの解消になった。

後ろ向きな話を共有できる仲間が
いたことが、ありがたかった。

痛みを、分かち合える
仲間がいることで、

「僕だけではない!
みんなつらいんだ!」

という意識が芽生え、
心が落ち着いた。

僕は、同じ悩みを共有している
仲間がいる事と夜話をすることで、
幸せな気分でいっぱいになった..

個人的に、防大医科生活では、
この集団生活が、
最も大きい事だと思う。

防大医科に集まってくる人間は、
出身地や育った環境も違う、

まさに玉石混交だ、

話す内容は、大学生なので
他愛もないものだけど、

話すことで、

『他者を認める、』

『自分を知ってもらう、』

と、言う事を何度も何度も
行なうことで、今の僕に
大きく影響していると思う。

集団生活を行う上で、
最も、咎(とが)められる事は、

仲間の学生を、

見捨てる事と売ることだ。

『仲間を見捨てる』

と、いうこととは、

前にも書いたが、
毎朝6:30に日朝点呼がある。

起床ラッパが鳴ってから、
概ね5分以内に学生舎の前に、
集合しなければならない。

5分が過ぎると、そこから
何分遅れたのか計測が始まる。

その5分間で、
支給されている毛布やシーツの
四隅をぴっちり合わせてたたみ、

衣服を着替えて集合するのだが、
1年生は、慣れていなく、
どうしても遅れてしまう..

同室の仲間のうち、1人が遅れ
3人が間に合った場合、
怒られるのは、間に合った3人だ。

間に合ったのに、なぜ怒られるのか?

防大医科は、1人のヒーローを
育てる教育機関ではなく、

お互い足りないところを、
補完し合いながら、

組織とし成長していくことを、
求める組織だからである。

つまり、『all for one,one for all』

みんなは一人のために!
一人はみんなのために!

なのである..

よって、

『自分さえ良ければ良い』

『そのために仲間を見捨てても良い』

と、いう考え方を、
持っている人間は、
厳しく咎められる。

『仲間を売る』についても同様、

集団行動で、まず大事なのが仲間だ、
ここの信頼関係が崩れると、
国防もへったくれもない。

だから、徹底し

『仲間の信頼を強固にする』

と、いうことを体に叩きこまれる、

叩きこむために、

『売らざるを得ないような状況』

に置かれ、試されることも度々..

例えば、共用部の掃除で、
範囲が広い場所は
2人で役割分担しながら行うが、

ミスを作り上げられ、
掃除監督の上級生から、

「どちらの担当だったのか?」

と、延々と詰問されるが、

「自分ではありません!」

とは、言えない..

これは「仲間が悪い」と、
言っているのと同じことであり、

ひたすら、言い訳せず、

「ハイ」

「イイエ」

を、繰り返し、
時間が過ぎていくのを待つ..

3つ目は、対番制度で、
同期が痛みを、分かち合える
存在だとすると、
1期上の対番学生は、

「痛みを和らげてくれる」存在だ、

対番制度

新入生に対し、2年生の教育担当が
つく制度で、

生活していく上での色々な、
集団生活のルールを教える制度、

僕についた、対番学生は、
必要な備品、
(裁縫道具,爪切り,洗剤など)を

全て対番学生が、自腹で
買ってくれた。

又、消灯後から24時くらいまで、
毎晩僕たち、1年生の部屋に
夜話に来てくれた。

話の内容は、

「大丈夫か?辞めたくなってないか?
いや~俺もこの時期つらくて..

このように考えたら、
乗り越えられたよ」

と、いう経験談や、

「次のこのイベントまで、
やり終えたら自信がつくよ」

と、話してくれた。

『全寮制』というシステムに
支えられ、人と人を、
縦と横でつなぐ、

『対番』と『同期』は、

防大医科の本質で、
あるような気がする。

又、虐めに耐えた経験、
(石高)での往復10Km、
自転車通学経験が、
良いように味方した。

ただ、防大医科生活を経験し、
これまで受けてきた虐めや、
往復10Kmの自転車通学など、

子供の遊びで、じゃれては、
いけないレベルだと心底思う。

"藤井 竜二"先輩が、弱虫な僕に、
防大医科を勧めてくれた理由は、

経済面の理由だけではなく、
真意は、そこに有った..

リュックに20kgの荷を入れ、
山を10Km行軍、
ついで、4Kmの遠泳..

7月最終になり、遠泳訓練も最終日の
8Kmの遠泳を残すのみとなった。

訓練は、一日ずつ距離が伸び、
2km、3kmと最終日に8kmを泳ぐ。

泳いでいる最中は、
トイレも食事も泳ぎながらで、

食事は滑稽で、ボートから教官が
金平糖や甲板を補給してくれる。

それを立ち泳ぎで受け取る。

立ち泳ぎのできない、
僕など食事にありつけない..

時間にして4~5時間、
ずっと泳ぎ続ける。

僕は、海パンの中に、
朝食で出た蜂蜜や、

チョコレートをしのばせておき、
なめてしのいだ..

朝8時半に出発し、
帰ってくるのは、2時半頃である。

入校してからの3~4ヶ月間、
遠泳のために、受けた補備教育で、

こんな僕でも、体形が、
ずいぶん変わった。

初々しく、頼りなかった僕でも、
この遠泳訓練を乗り切ることで、

「やればできるじゃん!」

と、自信がもてるように
なって行った..

僕は昔本で読んだ、
トマト栽培の事を思い出した。

トマトを甘く大きく強く育てるには、
植えた苗に最初だけ
水を“ふんだんに”にあたえ、

そこから先は、苗が枯れる寸前まで、
水を与えないようにするそうだ。

苗からすると、たまった
ものではなく、

枯れまいと、
土の中いっぱいに根をはる、

それを見計らって、
そこからは普通のように、
水を与え育てると、

真っ赤で甘く立派な
トマトに育っていくそうだ。

防大医科の教育は、トマト栽培に
よく似ていると感じている。

学業単位認定も、給料もらいながら、
なので、とにかく厳しい..

月給は、108,300円

賞与(6月、12月)、
319,000円 支給される。

寮生活はコミュ力が要求され、
笑いに関しては、すごくうけるので、
笑いがとれれば、寮生活は楽勝だ。

つまり、おもろいやつが、
勝ちの世界という事になる。

どじな僕に、同期の中で一番の
ひょうきん者の笠原がいつも、

「対馬 気にするなよ!
わしゃぁ~ 吉田拓郎の曲が、
妙に好きなんじゃが、

拓郎の曲、『唇をかみしめて』
と同じゃ!ガンバろうで!」

と、いつも笑顔で、
僕をなぐさめてくれた..

虐められ続けた僕にとって、
それは、初めての経験だった。

何故か、彼とは馬が合った。

僕は、19歳になって初めて、
親友と言う物ができた。

笠原は、広島県呉原市の出身で、

初めて親元を離れ、
寮生活だそうだ。

「わしゃ~対馬の様に勉強は出来ん!
昔から体力だけが取得の男よ!」

と、いつも豪快に笑いながら言った。

相変わらず『春教育』でも僕は、
皆の足を引っ張り続けた..

しかし、今までと違うのは、
同期で支えあう事さえすれど、

僕を虐める者など、
一人もいなかった。

1つの飲み物も、
みんなで回し飲みした。

ばい菌、虐めを受けた、僕は、
そんな、些細な事でさえ感動した。

『同じ釜の飯を食った仲間』とは、
こう言う事だと思った。

2年生になるまでに、
入学した40%の。
人間が去っていった..

1年生は、制服着用、
外泊禁止が義務付られ、

防大の制服を
着用しての行動になる。

よって、行動は、
必然と限られてしまう..

僕達は、2回目の夏休暇を迎えた。

2年生以上になると、
私服で外出、外泊ができる。

ただし、私服を校内に
持ち込むことは、禁止されており、

数人で近所に部屋を借り、
そこが、外泊するときの
拠点となった..

笠原が僕に言った。

「わしゃ~広島の田舎に帰るんじゃが、
対馬、
お前もわしと一緒に
広島にきて見んか!」

笠原の話す広島弁は、
たまにわからない事がある。

それを察してか..

たう=届く、

ねき=近く、

やねこい=しんどい、

ぶち=すごく、

わや=むちゃくちゃ、

おらぶ=叫ぶ、

さげる=持ち上げる、

ほいじゃけん=だから、

ほいで=それから、

たちまち=とりあえず、

めげる=壊れる、

いぬる=帰る、

かやる=ひっくり返る、

etc..

ワレと言う響きは、僕には、
怒っているように
聞こえるが、

ワレ=お前 と言う事で、
親しくなると、わりゃ~になり、

本当に怒っている場合、
おどりゃ~になるそうだ..

僕は、広島弁三段活用として、
われ・わりゃ~・おどりゃ~ と憶えた..

広島弁⇔標準語 変換ノートを
僕に持たせてくれた。

笠原の名前は、
寛治(かんじ)と言う。

家には、ガンコ爺さんが
いるそうで、
唯一"寛治"にだけは、
優しく接してくれるそうだ。

僕が住んでいる宮城から見ると、
広島は、はてしなく遠い所と言う、
印象しかなかった。

しかし、震災を受けた事で、
原爆から復興した広島を
一度見たかった。

そのほか、僕の知識では、

日本三景 安芸の宮島=松島、

広島カープ=楽天イーグルス

サンフレッチェ広島=ベガルタ仙台

「ベガルタ」とは、
仙台で有名な、七夕祭りの

織女星ベガと、
牽牛星アルタイルにちなむ造語だ。

カキの養殖など..

共通点の多い県だと、
印象を持っていた。

僕なりに調べたが、
宮城以外の県は、大都市が無く、

仙台が東北の中心と、
なっている反面、

広島は、近くに
大阪・福岡と大都市が近く

都市の規模は似ているが、
仙台と広島とでは、
都市環境が大きく異なる。

東北の中心都市、仙台には、
旧帝国大学の一つ、
東北大学が置かれている。

広島は、周りの大都市と近く、
仙台は、東北唯一の
都市だと言う事だ、

このように、都市としての
環境は、異なるが、

人口等、都市としては、
規模的に同じで、
親近感を感じた。

笠原は、豪快に笑いながら言った、

「宮島も原爆資料館も、
案内しちゃる!

忘れちょった、それとのう~

"お好み焼き"も、
食わしちゃるけんこいゃ!

それとカープも見っしゃる!」

笠原の言っている事は、
70%くらいしか

理解できなかったけど、

僕を色々案内してくれるらしい..

僕は、笠原についていく事にした。

広島での体験

笠原は、新幹線じゃなく東京駅20時発、
高速バスで行こうと言った。

バスは翌朝、7時35分に、
広島に着くらしい。

彼は、何回か乗った事が
あるらしかった、

僕は生まれて、初めて
高速バスに乗った。

バスと言ってもトイレ完備の贅沢な
作りに僕はビックリした。

座席は、広く取ってあり、
豪華な椅子で、僕と笠原は、
祝盃をあげた。

笠原が言うには、料金は、
新幹線よりお徳らしい..

笠原は、広島駅に着いたら
すぐ乗り換えて、
宮島に行こうと言った。

それから原爆資料館を見て、
呉原線と言う
路線で、

わしの家、呉原に行き、
泊まりじゃ!と高々と笑った。

そのルートが良いのか悪いのか、
僕に わかるはずもなく、
笠原におまかせだ。

それより、写真でしか
見た事がない、

宮島を見れる事が楽しみなのと、

テレビの映像で見た実際の
原爆資料館が、

どんな物かビールを飲みながら
ウキウキしてしかたなかった。

酒のせいで、熟睡できた。

西条と言うバス停で、
止まった所で目がさめた。

笠原は、すでに、
目をさましコーヒを飲んでいた。

「対馬、目が覚めたか!
おまえもコーヒでも飲めや!

広島県に入ったけんのぉ~
もうちょっとで、
広島駅に着くで~」

と、言って缶コーヒをくれた。

朝7時35分、
バスは定刻通り広島駅に到着した。

「対馬、今からJR山陽本線下の列車で
宮島口駅まで行くで、

だいたい27分ぐらいじゃ、
そこから連絡船に乗り換えりゃぁ~

10分で宮島じゃ!

宮島を見たら、そこから、
世界遺産航路で、

直接、平和公園(元安川桟橋)まで、
直行じゃ..

時間は、40分くらいかのぅ~
夏の瀬戸内海を、
船で行くのもええもんじゃ!

ほいで、原爆ドームを見て、
原爆資料館を見る感じかのう~

資料館から、広島城は近いんじゃ。

今は、ことごとく堀を埋め立てて
規模が小そうなっちょるが、

対馬に、見せたい所が
いっぱいあるんょ。

城を見たら、お好み焼きで
昼飯といこうかの..

ほいで、広島駅にもどって、
呉原線で、
わしの家に行くと
言う段取りじゃ!」

笠原は、相変わらず豪快な男で、
それを僕に伝えると、
周りを気にすることなく大きな声で、

「ガハハハハ」と笑った。

「山陽本線下りは、1番腺じゃ、
ほいじゃ~"対馬"行こうか!」

と、案内した。

笠原の言うとおり27分で電車は、
宮島の対岸、宮島口に着いた。

安芸の宮島

「"対馬"見てみい、
海の上に赤い鳥居が見えようが、

あれが、海の上に建てられた
厳島神社じゃ。

今から連絡船であそこまで行で~」

と僕を引っ張って行った。

連絡船に乗って10分くらいで、
僕達は島に着いた。

「わしは、宮島について
詳しゅうないんじゃが、

この海上神社は、平清盛が
造らせたらしい、

シンボルは何と言っても
海に浮かぶ大鳥居じゃ、

正式には、海から船に乗って
大鳥居をくぐり、

神社に参拝するのが、
ほんまらしぃ..

「実はこの大鳥居の根元は、
海底深く埋められて
いるわけじゃのうて、

自分の重みだけで建っちょる。

それなのに台風や地震がきても
びくともせず、動いたり、

倒れたり、しないのは、
なぜじゃと思う?

その秘密の1つは、
鳥居上部の島木は、
箱形の造りで、

中にこ、ぶし大の玉石、
約7トンを詰めて

おもし、にしちょるからじゃ…

「大鳥居は、木造で、
鳥居の種類としては、

両部鳥居(四脚鳥居)じゃ。

「高さ約16.6m、棟の長さ24.2m、
主柱周り9.9m、総重量は約60t、

木部は、丹塗り、
(光明丹[こうみょうたん])

主柱は、楠(クス)の自然木を
使っちょる。

楠の木は、腐りにくく
虫に強いためじゃ。

袖柱[そでばしら]は、
杉の自然木を使っちょる。

また主柱・袖柱あわせて、
安定感のある
6本足とし、

柱と屋根の交差する部分には、
特殊な造りの、
クサビがほどこされて、

柱と屋根の動きや、
ひずみなどを自然に、

吸収するように、
なっちょるらしい…

海底部分の主柱の基礎は、
千本杭[せんぼんくい]の
工法が用いられ、

45cmから60cmの松杭が、
それぞれの柱に、
約30本~100本打ち込まれ、

その上に布石を並べ、
基礎の代わりとしちょる。

まさに先人の知恵のたまもの、
数百年前に、これだけの、

仕掛けを、行っている
わけじゃから、

改めて驚かされる。

歴史的には、陶晴賢
(すえ・はるかた)を、

この厳島で毛利元就が破り、
中国地方を、統一したと
言うことじゃ。

その辺は、このあと行く、
広島城で説明しちゃるわ。」

宮島について、詳しゅうない
と、言いながら、

めちゃくちゃ、詳しいじゃないか..

僕は、写真でしか見た事のない
厳島神社を、目の当たりにして、

その歴史の深さと、
実際のスケールの
大きさに感動した。

何より、海に浮かぶ
大鳥居が印象的だった。

「対馬、早いが、
次の平和公園に行こうかのう..」

そう言うと、多くの鹿を横目に
世界遺産航路桟橋まで、
僕を案内した。

瀬戸内海クルージング

「今日は、天気がええけん、

最高じゃ!

日頃から"対馬"の行いが
ええと言うことかの..」

そう言って"笠原"は、
RUNRUNⅡと言う、
観光船に乗せた。

さほど大きくなかったが、
天井ガラス張りの船だった。

船は平和記念公園(元安川桟橋)に
向かって走り出した。

なにより驚いたのは、
瀬戸内海の波の静けさだった。

おそらく宮城の人は、
湖を走っていると勘違いするだろう。

それほど瀬戸内海は穏やかだった。

笠原は、豪快な人間だけど、
良く気の付く人だ。

船を待っている間に、
桟橋の売店で、
2人分の、

ビールと、つまみの竹輪を
しこたま買っていた。

「対馬 この竹輪わのう..
アナゴ竹輪と言って、
この近海で取れた

アナゴを練り込んで、こしらえた、
広島じゃぁ~ 有名な竹輪じゃけん
食べてみいや!」

と僕に勧めてくれた。

うまい!!

仙台も"笹かまぼこ"が有名だが、
このアナゴ竹輪は、あぶらが乗って
本当においしかった。

島がたくさんあり、泳いで、
行けるんじゃないかと思うくらい、
島を近くに感じた。

出港してすぐに、
松島で見た、
無数の
牡蠣イカダが目に飛び込んできた。

ビール片手に、穏やかな瀬戸内海を
風を受けながらのクルージングは、
最高にここちよかった。

これって、
最高の贅沢じゃないかと心底思った。

宮島を出港して半分くらい来たとき、
笠原が言った。

「対馬よう~ なんで、
この船の屋根が低く、
ガラス張りに
なっちょるかわかるか~」

と、聞いてきた。

笠原は、所沢の学校にいるときも
広島弁が強いが、

地元(広島)に、帰ってからと
言うもの100%広島弁になった。

最初は、わからない事が多かったが、
なれと言う物は恐ろしいもので、

ほとんど何を言っているか
理解できる自分がいた。

無意識に自分の口から広島弁が
飛び出すこともあった。

船の屋根が低い件 と、
ガラス張りに成っている件、

色々考えてみたけど、
答えを見つけることが
できなかった。

「わからん!」

と、広島弁で言うと笠原は、

「もうちょっとしたら、
答えがわかるよ。」

と、豪快に笑った。

船は海から河に入っていった。

平和記念公園(元安川桟橋)は、
名前の通り河にあるのだ。

僕は、答えがわかった!

船は、何本もの
橋をくぐる必要が有るため

水面から一番低い橋の高さに
合わせ屋根が低くなっているのだ。

屋根一面がガラス張りに
なっている理由もわかった。

河に入ると海と違い、
河どてが高いため、

見える景色が極端に狭くなる、

もし、屋根がガラス張りで、
なければ
乗っている自分達は、
河どてばかり見ることになるのだ。

又、ふだん見ることのない
橋脚の裏側が目に飛び込んできた。

新鮮な光景だった。

間もなく我々を乗せた、
クルーズボートは、

平和記念公園、
(元安川桟橋)に接岸した。

平和公園

「対馬 この桟橋の上、
橋を渡ったら平和公園じゃ。

原爆ドームは、この先にあるけん、
先にドームに案内するは、」

と言い僕を案内した。

川沿いの道を歩いて、
数十メータだろうか、

テレビで見た世界遺産、
原爆ドームは、姿を現した。

今は鉄冊で囲われ一般人は、
中に入れないようになっていた。

この建物は、被爆する前は、
"廣島産業奨励館"と言い、

この上空約160mのところで、
原子爆弾は、
炸裂したと
プレートに書いてあった。

きた道をもどり、桟橋の
上の橋を渡った。

橋を渡りきった道を境に、
南北が公園だった。

木がたくさん植えられた
公園の部分を抜け、

笠原が言った、

「これらの木は、ほとんどが、
桜じゃ!

春になったら、みんな、
ここに来て花見をするんじゃ!

ほんま!平和は、ええもんじゃ!

わしらは、この平和を維持する為、
みんなに感謝される為、

日々つらい訓練に耐えながら、

勉学に励んじょる…」

僕達は、公園の南側に向け歩いた。

木がたくさん植えられた
公園の部分を抜け、広い芝生に

覆われた広場が、
目に飛び込んできた。

公園は、テレビで見た物より
ずいぶん広かった。

僕達の見る、8月6日の
平和式典は、

公園の一部に、すぎない
事実を知った。

そこは、いつも、
テレビで目にする
平和式典が、
開かれる所だった。

宮島もそうだったが、

外国人観光客の多さには、
びっくりした。

「あそこに、見えるんが、
原爆慰霊碑で、

その後ろに、あるんが
原爆資料館よ、

今から慰霊碑に参拝して資料館を
見物するとするか..」

と、笠原が言った。

慰霊碑に歩いている途中、
あんなに陽気な笠原が、
一言もしゃべらなかった..

鳩がたくさんいる中を僕達は、
無言で歩き慰霊碑に到着した。

慰霊碑には、

『安らかに眠って下さい
過ちは繰返しませぬから 』

と刻まれていた。

僕達は、しずかに黙とうをした..
笠原が、小さな声でしゃべり始めた。

「原爆資料館ふくめこの公園はのぉ..

建築家 丹下健三 が設計したものじゃ。

慰霊碑の前に、立つと
原爆ドームが見えるよう

ドームと一直線上に、
設計されていた。

「対馬、今から、
原爆資料館の展示を見るが、

恥ずかしいことに、
小学校の平和学習で見たとき、

とうぶん飯が食えんかったんよ、
ほいでの、
家に帰っても
恐ろしゅうなって、

一人で便所に、
行けんように、なった。

ほんまはの、わしは、
外で待っちょるけん、対馬 一人で
見てもらいたいんが本心なんよ..」

震災でどれほどの地獄を見たことか..

東北大震災を経験している僕は、
笠原は、おおげさすぎると思った、
ああ見えて結構小心者だと思った。

いやがる笠原を引っ張り、
資料館に入った。

展示資料をまのあたりにし、
僕のそんな考えは、

一瞬にして吹っ飛んだ!

それは、東北大震災の比ではなかった..

昭和20年8月6日 午前8時15分、
一発の爆弾で、
さっき見た
原爆ドームを中心とし、

一瞬に、半径1km以内の
人の90%が死んだ。

その数、
9万~12万と書いてあった。

広いと感じた平和公園には、
街が広がり、かって大勢の
人の暮らしが有った。

そこには、楽しいこと、
悲しいこと、兄弟げんか、

家族の笑い顔で溢れていただろう..

その街が一瞬にして消えたのだ!

しかも人間が作った一発の爆弾でだ!

僕は、言葉を失った..

目頭が熱くなった..

東北大震災を経験しているからこそ、
その衝撃は大きかった、

8時15分で止まったままの時計、
熱線で溶けた瓦、溶け、
グニャグニャになったガラス瓶、

熱線で石に焼きついた人の影、
焼けただれ、皮膚をたらし
さまよう人々..

笠原は、僕の横にいるが、
あえて見ないように、
しているようだった。

まだ見始めの、
音楽で言えばイントロ段階だった、

僕は、ある展示の前で、
足が動かなくなった、

それは、お母さんが持たしてくれた
炭化した弁当箱だった。

一瞬にして、
宮城にいる母の事を思い出した。

涙が溢れてきて止まらなかった、
人目を気にせず僕は泣いた。

それ以上、展示を、
見ることが僕にはできなかった..

笠原と僕は、資料館をでた。

笠原は言った、

「対馬 資料館に入る前の元気は、
どうしたんじゃ?」

僕は、あまりにものショックで
言葉がでなかった。

「広島城は、ここから近いけん
昼飯を食わずに城に行こうや。」

笠原が言った通り僕には、
飯を食べるような余裕は無かった。

笠原はタクシーを拾った。

タクシーの中では、
笠原と運転手さんは、
地元球団

カープの話題で、盛り上がっていたが、
僕は、そんな気にはならなかった。

運転手が、

「おつれさん、元気がないようじゃが、
どうかされたん?」

と、笠原に聞いてきた。

「こいつ、資料館に入って
見れんようになって、
途中で出てきたんよ。」

ガハハハと笠原が笑った。

なんて無神経なやつだ!

広島城

笠原の言うとおり、
すぐに広島城に着いた。

外観を見て木造と思ったが、
天守閣は、
鉄筋コンクリートで
復元された城だった。

中は、定番の鎧兜、刀、古文書績 etc..
が、ガラスケースの中に展示してあり、

最上階には望遠鏡があり、
広島市内が一望できた。

広島城で、いろいろ案内したい所が
いっぱいある、と言っていたのを
思い出した。

「天守閣に登ったし、
今から、対馬に広島城について
ガイドせにゃ~いけんのぉ..」

と、言って敷地内にある[大本営蹟]と、
言う場所に連れて行った。

「大本営はのぅ~
陸軍および、海軍を
支配下に置く戦時中のみの

天皇直属の、
最高統帥機関じゃったんよ。

1894年 9月15日、戦争指導の拠点を
広島に置くために天皇が移り、

大本営が、広島に移った
場所がここなんよ。

早い話、広島は、
日本の首都になったことがある、

と言うことよ。

次に、
中国軍管区司令部跡に連れて行った。

そこは、地下壕のようであった。

説明の記念プレートがあり入り口は、
鉄条門で塞がれていた。

「ここはのぅ、現在に残る被爆建物で、
ここから、広島は新型爆弾にて壊滅との
第一報が全国に発信された所なんよ..

一瞬で廃墟になった広島を、
目の当たりにして、

彼女は言葉に表せないくらいの
ショックじゃったと思うで..」

僕は、東日本大震災で街が津波に、
飲み込まれて行く光景を目にしたが、
その比ではないと思った。

彼女の気持ちが痛いほどわかった..

「打電したのは、女子挺身隊、
当時14歳の女学生で、
彼女は、現在も健在でおられる。

原爆が落ちる前は、
天守閣も本物じゃった!

国宝広島城じゃった!

それが原爆でなくなったんよ..」

僕は、今になって、
さっき見た天守閣が、

なぜ鉄筋コンクリートだったのか、
わかった。

「ほいでの、宮島で陶晴賢
(すえ・はるかた)を
厳島で破て

毛利元就が中国地方を
統一したと
言うたが、

毛利元就の長男、隆元の嫡男
(ちゃくなん)
輝元が、
県北の吉田郡山から移り

築城したのが、広島城なんよ。

広島は川の街で、昔は川を利用し
堀を張り巡らせた、
日本有数な平城じゃったらしい。

広島城を見た豊臣秀吉は、
その規模、雄大さに、

『大阪城を凌ぐ!』

と、言ったのは有名な話じゃ。

今は、堀を埋め立てて、
10分の1くらいになっちょるがの..

1600年、関が原で西軍は破れ、
所領は没収され、
本州のすみっこ、
萩においやられて268年..

1867年、長年の夢、
薩長同盟にて徳川幕府は、

大政奉還したと言う事じゃ。

それから、日本は明治維新にて
世界と、渡り合うように
なったと言うことよ。

広島が、日本の首都に、
なった事があるのも、

おそらく、長州の力が
あったからじゃろう..

そんな訳で広島は、
昔は軍都じゃった。

ほいじゃけん、
原爆におうたと言う事じゃ!

すまん!話が長くなったの~

対馬、腹が減ったじゃろうが..
今から、お好み焼きでも食おうで~ 」

笠原はタクシーを拾った。

「ここはのぅ、八丁堀ゆうて、
今は、広島の中心街になっちょる。

広島城の堀を埋め立て出来た街なんよ。

今はの、堀は残っちょらんが、
八丁堀、薬研堀、堀河町、
名前だけは残っちょるんよ。」

と言うことは、僕達は、
まだ広島城内にいる?

笠原が言った堀を埋め立てて、
10分の1くらいの意味がわかった。

広島お好み焼き

店はけっこう繁盛していて、
お客さんがいっぱいだったが、
二人分の席はあった。

お好み焼きは、僕の中では、
皿で出され、それを梯で
食べるものだと思っていた。

全然違った..

目の前で焼かれた、お好み焼きを、
みんな、
鉄板からヘラを使って
直接食べているのだ。

小さな、
カルチャーショックをおぼえた。

「こんなぁ~宮城の人間で、
お好みの食い方をしらんのんよ、

食えんかったら、すまんが、
皿にいれちゃってくれんかの?」

と言いながら

「ほいじゃぁ~"肉玉そばのダブル"で..」

と、僕に理解できない注文をした。

僕の知っている、
お好み焼きと全然違った。

クレープのように薄く生地を伸ばし、
その上にこれぞと言わんばかりに
山盛りにキャベツを乗せた。

そのうえに、薄くスライスされた
豚肉を乗せ、

直接、溶いた小麦粉を
ポトポトとかけ

豪快にひっくり返した。

キャベツに火が通る間に、
その横でソースをかけ麺を焼いた。

なんと手際の良いことか!

キャベツに火がとうったことを
見はからい焼けた麺の上に乗せた。

最後に卵を割り、鉄板の上で
薄く伸ばし、
それを

お好み焼きの上にのせ、
たっぷりソースをかけ、

そこに、青海苔をふり掛け、
ネギをのせ、
僕の前に出された。

笠原は、見慣れているのだろう..
焼ける間、ずっと雑誌を読んでいた。

「対馬 お前、お好みが焼ける間中、
ず~と見ちょったんか、

ひまなやつじゃのう~」

と、大笑いした。

ヘラで食べるのには、
違和感があったけど、

見よう見まねで、
うまく食べられた。

甘くおいしいキャベツの味、

甘酸っぱいソースの味は、
絶妙だった。

笠原は、お好み焼きに、
ついて熱弁した。

「県内にはのぅ~
約2000軒あるといわれちょる、

お好み焼きは、
原爆で物の無い時代に生まれた。

戦争や原爆で夫を亡くし、
自宅の土間を改造し
店を始めた女性も多く、

[〇〇ちゃん]という屋号が多いのは、
その名残りじゃ..

一銭洋食と言う
単純に溶かした小麦粉を焼き、
それにキザミねぎを挟み、

ソースを塗った食べ物がはじめよ..
その元祖の店がここなんよ..

最初は、サラサラのソース
じゃったんじゃが、

それじゃぁ、えっと塗る事ができん、

ほいで、おたふくソースと言う会社が
塗りやすいように開発したんが、
このドロットしたソースよ。

ほいでの、簡単そうに見えて、
焼き方一つで味が変ってくるのも、
お好み焼きの難しさよ!

中の、キャベツの味が
絶妙じゃったろう、

火のかげんで直ぐ変るんよ。

ほいじゃけんの~ 家で作っても、
店と同じ味は出せんのんよ。

お好み焼きは、職人伎なんよ!」

それを聞いていた店の人は、

「あんたぁ~えらい詳しいのう..」

と、笠原に言った。
続けて..

「ほいで(それで)あんたら、
何の仕事をしょうるん?」

と、聞いてきた。

笠原が、遠慮深く言った。

「わしらは、皆さんの税金で飯を
食わせて頂いている、

防衛大学医科に通う、
くちばしの黄色いヒヨコですわ!」

と、笠原が答えた。

お好みを焼きながら..

「ほぅ~防衛大学医科ゆうたら、
あんたら ぶち頭がええんじゃね~」

と、言われた。

それを聞いた笠原は、

「横におるこいつは、同期でも
トップクラスで頭がええんじゃが、

わしは、体力しかとりえのない
筋肉バカですわ、いつもこんなに、
わしらは、助けられちょります。」

と、大笑いした。

僕が、みんなを助けている?

「逆に、みんなの足ばかり引っ張って、
迷惑ばかりかけているんですよ。」

と、声がのどまで出かかった。

「対馬 原爆に、まつわる話は、
まだあるで~

広島カープがあろうが、

カープは原爆で打ちひしがれた、
広島市民が作った
日本唯一の市民球団なんよ。

そうそう、

さっき行った広島城は、
別名、鯉城と呼ばれちょった。

どんな名前にしようかと平和の鳩、
広島ビジョンズと言う
候補もあったそうじゃが、

ビジョンじゃ、あまりにも
弱そうなんで、
滝を登る鯉と、

鯉城にあやかって
カープになったそうじゃ。

最近わしらの、
学校の周り所沢や、関東でも

カープ女子が、
話題になっちょるじゃろう..

わしは、順子と言う2つ下の
妹がおるんじゃが、
こいつは正真正銘のカープ女子よ!

カープを語らせたら、
いつまでも話しちょる、
対馬にも紹介しちゃるよ。」

と、笠原は大笑いした。

「ほいじゃあ、
わしの家がある呉原に行こうか!」

と、店をでた。

呉原線に乗る為、
今度は路面電車で広島駅に向かった。

広島は、今でも道路の真ん中を
路面電車が走っている。

今はないが、宮城でも路面電車が
走っていたと聞いた記憶がある。

道路の真ん中にある、
八丁堀と言う
電停で待っていると

古い形の電車がきた..

ちなみに、
広島は、いろんな形の
路面電車が走っている。

笠原が大きな声で言った。

「ありゃ~ 被爆電車 650系じゃ!
被爆電車に当たるとは、運がええのぉ~

男は、兵隊に取られて
戦時中は挺身隊の女学生さんが
運転してたんよ、

原爆で殉職され、
たくさん尊い命がなくなった..

ほいでも、広島電鉄さんは、
被爆した
8月9日には、
根性で一部開通されたんよ。

広島は川の街じゃろう~

ほいじゃけん、地下鉄は掘れん、
路面電車が生き延びたと、
言う訳なんよ。

今では、全国で廃線になった
路面電車が集まって、
動く博物館状態になっちょるんよ。」

と、言いながら豪快に笑った。

話を聞いた僕は、平和の有り難さを
噛みしめながら電車に乗った。

広島駅までは、数分で着いた。
歩いていける距離だった..

『唇をかみしめて』

歌 : 吉田拓郎

作詞作曲:吉田拓郎

リリース: 2009年

【第二章】 著: 脇屋 義直

【第三章】へ続く..


この小説はフィクションです。
実在の人物や団体などとは、
関係ありません。

広島観光については、
事実に基づき
執筆しました。

原爆被災された方々には、
心から哀悼の誠を捧げます。

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