三章 人生の大転機
1.
タダ爺こと西島忠則の全ては、60年以上前の青春時代に構築された。 若かりし記憶を確かめるように静かに目を閉じた。
高等小学校卒業後、14歳、家族の反対を押し切り海軍に志願、
1941年(昭和16年)海軍特別年少兵1期生3500人の一人として選ばれ、広島県の大竹海兵団、(昭和の白虎隊)に入団が決まった。
海軍特別年少兵は、14歳~16歳未満までの少年を、1年間、海兵団で勉強させ養成する教育部隊だった。
大竹海兵団では、1班が約20人で、隊は42分隊、12班に分かれており、朝5時起床点呼を受けて掃除をし、朝食をとり、午前中は普通授業(英語、数学、国語、化学、物理、歴史)午後は軍事訓練スパルタ教育だった。
一人ができなかったら、240人全員が、全体責任で罰則を受けた。 教官からは、
「貴様何やっとる!」と、よく往復ビンタをもらった。
振り返ると15歳の1年間に受けた教育訓練は骨肉となり、自分の中で人生の基礎になった。
軍港には、軍艦30隻、とにかく大きかった!
名前は『戦艦武蔵』長さ263m、排水量72000ton、その大きさに度肝を抜かれた。 教官がいった。
「二隻有れば、太平洋戦争は早晩終わる! もう一隻は同型艦の『戦艦大和』不沈艦だ!」
2年後、1944年(昭和19年)10月24日、戦艦武蔵が海に沈んでいく光景を目の当たりにする。 その翌年1945年(昭和20年)4月7日には、戦艦大和の最期も目撃する事になる。
海兵団を卒業してからは、花形だった横須賀の海軍水雷学校に進んだ。 少しでも信号を間違ったりすると、海軍精神注入棒で全員の尻が真赤になるまで叩かれた。
厳しい訓練を昭和18年まで続け、卒業することができた。
配属される艦で運命は決まる。 同じ年少兵でも戦艦武蔵・戦艦大和、不沈艦への配属が決まった者もいた。
南方の最前線から帰ってきたばかりの艦は、赤錆だらけで、被弾した鉄板は花が咲いたように、あちらこちら破孔があった。
タダ爺が命じられたのは、先頭に立ち真っ先に敵へ突っ込んでいく、菊花紋章のない、
全長118m(基準排水量)2000ton、239名乗員の呉を母港とする、小さな駆逐艦『雪風』だった。
タダ爺は、戦死した英霊に対し黙とうをささげ、噛み締めるように話を始めた。
「第二次世界大戦で失った帝国海軍の軍艦は、651隻、商船が2934隻、合計3500隻以上、このような惨状にあって、唯一生き残った艦、それが陽炎級駆逐艦の8番艦として生まれた雪風じゃった。
幸運艦とよばれ生き残ったが、逆にいえば、戦艦大和を含め日本帝国海軍の終焉を見届け、夥しい無残な死を、目の当りにしたということじゃ……」
昨日おきた事のように、タダ爺は、話を続けた。
「初めて爆弾の攻撃を受けたとき、風を切る甲高いヒューという音が、全部自分に降ってくるように感じた。
『全速、前進ーー 面舵一パイーー』
艦首が急速に右に回りだす。 急降下する敵機から爆弾が離れ落下してくる。
爆弾は雪風のマストをかすめるようにして艦首左側海面に落ちた。
爆弾の大水柱が噴煙のように高く吹き上がり艦は水柱の中に突っこむ、ザーという海水が艦全体を包み込む……
もう浮いているのか、沈んでいるのか分からない、やがて水柱が収まりかけると、雪風は精悍な獣のようにおどりでた。
『各部異常なし! エンジンますます好調!』艦橋に報告が上がる。
『左前方水平線敵空母! 砲雷同時戦用意!』
魚雷発射後部、2番連管の伝声管に指令が響く、魚雷発射管を敵空母に向け回転させる。
『空気充填! 魚雷発射準備ヨシ!』艦橋に報告、
『取舵ヨーソロー 発射ヨーイ! テーー』間髪入れず声が響いた。
圧搾空気で押し出された九三式魚雷、長さ9m、直径60cm、2・8トン4本の魚雷が敵空母をめがけ次々と発射された。
乗組員全員の願いを込めた魚雷は、敵空母めがけ突き進んでいく……
みんな祈るように指を組んでいる……
まもなく大水柱と赤い炎が上がった!
『魚雷命中!!』
見張員の声が響き渡った。
『ワアーー』という全乗組員の歓喜、
『万歳万歳ーー』の声がこだました。
一方、空母を護衛していた敵駆逐艦に、12・7センチ砲で猛攻を浴びせ、航行不能におとしいれた」タダ爺は静かに続けた。
「これが、駆逐艦の本分である、雪風最後の魚雷攻撃になった。 その後は沈んでいく艦の生存者の救助ばかりになった……
1944年(昭和19年)10月24日、レイテ沖海戦、空母から飛び立った数百の敵航空機が、呉で見た戦艦武蔵に集中攻撃を浴びせた。 横を走る武蔵の上甲板すれすれまで、水がきちょった。
一隻あればこの戦争は、おわるんだといわれた不沈戦艦は、ズーッとそのまま沈んでいった……
雪風は激しい攻撃をかわしながら、味方の救助に走り回った。 艦長がいった、
『なれっこになったなぁ…… こういう光景に、こんなふうにさ、よその艦の乗組員を助け上げる光景によ!』が、忘れられん」
1945年(昭和20年)4月、残存していた11隻で艦隊を組み、沖縄への水上特攻作戦の命令が下った。
数々の激戦を生き抜いてきた雪風にも特攻が命じられた。
輝明がレットゾーンの切り込み隊長になったのが18歳、西島忠則、同じ18歳のときであった。
タダ爺は話を続けた。
「いよいよ来るところまできたなぁ……
特攻を命じられたが、なぜか落ち込むとか、そういうことは全然なかった。 憶えちょることは、苦しまずに死にたいということじゃった。 出撃の朝、横になりウトウトしていたら、お袋の顔が浮かんだ。
艦内放送があった。
『郵便物の発送は、午前10時までに書いて班長にとどけよ!』最後の郵便、遺書をかけという事じゃった。
菊水作戦(きくすいさくせん)、内容は、
『揚陸可能の兵器、弾薬人員を揚陸して陸上防衛兵力とし、残りを浮き砲台とする!』
4月6日午後3時25分、戦艦大和と第二水雷戦隊の軽巡洋艦1隻、駆逐艦8隻は沖縄方面に出撃した。
夕刻に君が代斉唱と万歳賛唱を行い、
それぞれの故郷に向け帽子を振った。
雪風は戦艦大和の左前方の護衛にあたった。敵機は周辺にいる駆逐艦など目じゃないと
いった感じで、全機大和をめがけ攻撃をおこなった。 二時間に渡る600機による大空襲は、悲惨なものじゃった。
一つの鉄の塊が形がないくらいに弾をあび、大和は蜂の巣のようにやられちょった。
沈み始めた大和を見て助けに向かおうと、雪風は舵を切った。 その瞬間ドスーン! と、腹の底から突き上げるように爆発音がした。
大和が大爆発を起こし、お椀をひっくり返したように反転し、火炎が横に広がり、キノコ雲が1000m近くあがった。
大和は船体が2つに折れ、並列しグーッと持ち上がり、吹き飛んだ破片が落ちてくる、波しぶきと一緒に、海底に姿を消した……
遠く鹿児島からも、大和のキノコ雲が見えたそうじゃ!
戦闘の終わった後というのは、ものすごくもの悲しい、先ほどの激しい戦いが嘘のように物静かな沖の方から、ヒューヒューと風の音が切なく聞こえた。
『作戦中止!
沈没艦の人員を救助の上、帰還すべし!』
連合艦隊司令長官から命令が下った。
敵の攻撃からいつでも動けるよう微速航行を続けた。 あらゆる小艇を動員し、くまなく波間を探し求め、できる限りの人命を救助し佐世保に向かった」
2.
雪風には、新たな任務が与えられた。
大砲など武器が取り外され、四角い小屋が建てられた。 海外に取り残された民間人や、軍人を日本へ運ぶ引き上げ船となった。
1946年、雪風に乗り北は満州から南はニューギニアまで戦争の後始末に奔走した。
13000人以上の人たちを、祖国に送り届けた。 終戦から2年後、タダ爺は雪風最後の航海を向かえる。
行先は上海だった。
戦争に敗れた日本は1947年7月、中華民国に賠償艦として、雪風を引き渡すことになった。
台湾の旗艦丹陽(たんよう)とし活躍し1965年使命を終えた。
輝明は、今までの人生に起こった全てを、タダ爺に話した。
一部始終を聞いたタダ爺が口を開いた。
「あなたが悲しければ私も悲しい、あなたが嬉しければ私も嬉しい、それが愛じゃ!
あれもしてやれば良かった、
これもしてやれば良かった。
愛情一杯のお袋を亡くし、さぞかし辛かったじゃろう……
しかし、お前は、最大の親孝行をしたんじゃよ!」
「最大の親孝行……?」
輝明にはタダ爺がいうような、親孝行をした記憶はない、むしろ後悔の念ばかりだった。
思い詰めている輝明にタダ爺はいった。
「最大の親孝行とは、親より先に死ななかった事じゃよ……
子供が自分より先に死ぬことほど親にとって辛いことはない、その最大の辛さを、お前は、親に味わわせんかった。
ワシの最大の親孝行も激戦をくぐり抜け、母親のもとに生きて帰った事じゃ!
姿あるもの必ず形を変える、愛があると悲しい、無ければ何とも思わん、亡くなってしもうたんじゃない!
ただ姿が変化しただけ、死とはそういうことなのじゃ!」
タダ爺は、戦争の死について語りだした。
「戦争は人間の生命など、まったくごみのように無視し成立する。
救護室は負傷者の血と戦闘員の汗の臭いが混じり奇妙な臭気を醸し出しちょる。
じゃが誰一人それが気にならん、それが戦争じゃ!
多くの無残な死という地獄を、この目で見てきた。 それと同時にワシは、尊い命をこの手で奪った殺人者じゃ!」
忠則は敵航空機対応が増強され、防御もない最後尾にある対空機銃に持ち場が変わった。
1944年(昭和19年)10月、
レイテ沖海戦の事だった。
戦艦武蔵を援護していた雪風に、4機の敵機が旋回し一列になり直上から向かってきた。
「左九十度敵機! 射撃始めー」
主砲、機銃が一斉に火を噴いた。
パッパッと黒いかたまりの弾幕、機銃弾が敵機に向かってとんでいく。
別の1機が、超低空飛行で向かってきた。グラマンF6Fの両翼が火を噴いた、雷のような爆音とともに、空気を切り裂く音がして弾が頬をかすめる。
飛行眼鏡をかけ青い目をした、パイロットの顔がハッキリ見えた。
無我夢中で九六式25mm単装機銃の引き金をひく、弾丸は三発目ごとに曳光弾(えいこうだん)が装塡されており、弾丸が飛んでいくのがわかる。
右手に激痛が走った。 生ぬるい血がザーッと右手いっぱいに広がった。 機銃指揮官が鉢巻をとって、手首をきつく結んでくれた。
敵銃弾をあび負傷したが敵機は、火だるまになり海に墜落していった。 右手の感覚がまったくない、小指と薬指を失っていた。
10人くらいの負傷者で生々しい血の匂いが立ち込め、医務室は騒然としていた。
あれから60年以上経つが、昨日のことのように思い出す。
「火だるまになって墜落していく若いパイロットの悲しそうな青い目を、忘れることができん……」
流れ星の五百旗頭と粋がり、バイクで走り回っていた俺なんかとは、人生の重みが全く違う、とてつもなく大きな差がある。
輝明はタダ爺に質問をした。
「タダ爺、人は何のために生きているのだろうか?」
意外なことにタダ爺は即答した。
「それは、自分以外の物を生かすためじゃ!」
「自分以外の物を生かすため?」
輝明は、その答えが全く理解できなかった。
「雪風での体験は、多くの悲惨な死を見てきた。 又、雪風は、自分達が乗っていた艦が沈み、海に漂う多くの命を救助した。
生きのびた者、
亡くなった者の違いは何か?
ズバリいう一緒じゃ!
違いはない、理解できんと思うが、この世に死というものは、存在しないんじゃよ!」タダ爺は、ハッキリいった。
「レッドゾーンの仲間も、お前のお袋さんだって、亡くなったわけじゃない!」
輝明は、復唱した。
「亡くなったわけじゃない?」
「お前は絶妙の柔らかさになるよう、火加減を調節したり、ひっくり返したりして、焼き上がったお好みを、お客さんに出す。
現時点では鉄板の上のお好み焼きと、お客さんは別のように見える。
美味しそうに焼かれたお好みを、お客さんが口に放り込む。
するとどうじゃ!
お好み焼きと、お客さんの区別は、のうなってしまう。
宇宙的に見たら、お好み焼きじゃろうと、お客さんじゃろうと、根源は同じ小さな量子であり、増えも減りもしちょらん、形が変わっただけじゃ……
人間の体は、分子が集まってできちょる。
その分子は、色々な元素の集まりじゃ、
更に元素を分解すると原子核になる。
原子核を更に分解したら、重さはあるが、光の粒のように常に振動しているエネルギー、これが量子なんじゃよ。
小さすぎ肉眼では見えん、これらが集まり形成したら、ワシらでも見ることができる、あらゆる物体になるんじゃ!
根元は何であろうと皆、量子なんじゃよ」
輝明は簡単に答えた、「自分以外の物を生かすため!」の意味が聞きたかった。
タダ爺は噛み砕き話した。
「牛、豚、鶏、魚、野菜、人間も含め生物は、自分が食べられることにより、その他の生命を生かしておる。
つまり食物連鎖じゃ!
若かりし頃は、どうなるのか人生の先が、全く見えん。その恐怖で人を押しのけ、金を手に入れ、物を買ったり、食べ物を得る為に争う。
借金をしてまで物欲に走る。
又、争い手に入れた幸福じゃが、手に入れた喜びは一瞬じゃ、喜びが消え去ったら次々と欲求が湧いてくる。
キリがない……
世間的に名声があり、金銭的にも恵まれた有名人が自ら命を絶つ、
金の鎖で繋がれているか、鉄の鎖で繋がれているのか、何かに拘束されている事には、違いがない、
江戸時代を見たら贅沢な乗り物は、速度も遅く冷暖房もない籠じゃ! 現代は高速で冷暖房完備されている新幹線に当然のこととして乗っちょる。
高校を中退までして、バイクを手に入れ、スピードに酔いしれても、それは一時の幸福感に過ぎん。
友を亡くし、苦労を掛けた母を亡くし、そんな事で幸せになれんかったことに少しは、気付いたはずじゃ。
人間も含めこの世に生きる生物は、気付かんじゃろうが、自分以外の物を生かすために生きちょる。
小さな子供たちが「キャッキャ!」と無心ではしゃぎ遊んじょる。
その姿を見て大人たちは、目じりを下げ笑顔いっぱいじゃ!
ただただ、存在しちょること自体に意味があるんじゃよ……
それが根底にあるんじゃ!
その理屈が分かったら簡単なことじゃよ。自分以外の人を幸せにするために、
行動しろ!
得ることによる幸福より、与えることによる充実感は、計り知れない幸福を得ることができる。 それこそが、拘束から解き放たれることができるんじゃよ!
人生はかけ算で、いくらチャンスがあろうと、お前が行動しなくゼロなら意味がない、
相手の喜びが、自分の喜びに変わったとき、お前は生まれ変わる事ができる!
情けない事にワシは、年を取ってその事に気付いた。
じゃがお前はまだ若い、その若さで気付き行動できたら、お前の人生は大きく変わる!」
何故か輝明は心が洗われ、清らかな気持ちになっていくのを感じた。
「日本海軍では、会計や庶務などを受け持つ主計科が炊事関係も担当しており、右手を負傷したワシは、雪風の烹炊所(ほうすいしょ 調理室)に配置転換となった。
それが運命との出会いじゃった。
烹炊長は、戦艦大和で長年食事を作っておられ、見た事も聞いたこともない料理を教えてくれた。
若かったワシは、海綿が水を吸うように、海軍料理を吸収していった。
それがワシの財産じゃ!
今では、その日の食べる物に困っている多くの仲間に、海軍料理を作り食べさせるのが生きがいじゃ!
『美味い! 美味い!』と食べてくれる姿を見るだけで幸せいっぱいになる」
タダ爺の顔は、満面の笑みだった。
「これも立派な、自分以外の物を生かすために生きるじゃよ!」
広甘藍を手にしタダ爺は続けた。
「復員輸送任務を解かれたワシは、呉に住んだ。
烹炊長に教わった料理の経験から、進駐軍の調理人下僕として働いた。 戦後は食べ物がなく、その日の食べ物にも苦労した。
継ぎ接ぎだらけの服を着て、みんな買い出しに走り回る毎日じゃった。
コック長のマークがいった。
『この料理の主役は、揚げた豚肉じゃない、このキャベツだ! 俺は国でこんなに美味いキャベツを食ったことがない、食えばわかる』
ワシは口に放り込みキャベツをかみしめた。衝撃が走った! 何と甘く瑞々しいキャベツなんじゃ!」
タダ爺は広甘藍の入ったレジ袋を、右手に持ち立ち上がった。
「また寄らせてもらうよ……」
3.
丹波がいった保護司という言葉が頭をよぎった。 気づけば無意識のうちに丹波に電話をかけていた。
「五百旗頭です。
今日は、保護司のことを詳しく知りたく電話しました。
今よろしいでしょうか?」
「おぉ、五百旗頭か!
どうした、ワシがいった保護司になる腹を決めたんか?」
輝明は、
「人は、何のために生きているのか?」
と、いう同じ質問を丹波にした。
少し考えて丹波が答えた。
「お袋の法事のとき、坊さんがいった言葉じゃが、『人は死ぬる為に生きる!』じゃぁないんか?」
「丹波さん、ある老人の話を聞き、目が覚めました」
「ほぅー ワレが、目をさますような話とは、どがな(どんな)話なんかの?」
輝明は、タダ爺から聞いた内容全を、丹波に話した。
「そのお爺さんは何者なんじゃ!?
ただものじゃないのぅ!」
話を聞いた丹波は、関心しきりだった。
丹波さんがいわれるように、俺、保護司になろうと決意しました。
詳しい話を聞かせて下さい!」
丹波が噛みしめるようにいった。
「五百旗頭エエ話じゃ!
お爺さんがいった通りじゃ!!
保護司になるための資格は、特に必要ない、保護観察所長が推薦した者の中から法務大臣が委嘱する。
まぁ、難しゅう考える事はない!
広島保護観察所は、中区上八丁堀にある。
そこで研修を受け、法務大臣から委嘱されたら保護司五百旗頭の誕生じゃ!」
丹波がいったように、研修を受けるだけでよかった。
研修が終わった新任保護司へ、やせ型で、銀縁眼鏡をかけ、背広姿のインテリ風の保護観察官、浅田和孝(あさだかずたか)が一人ずつ名前を呼び、委嘱状を読み上げながら手渡していく……
五百旗頭が呼び出された。
「五百旗頭輝明 保護司を委嘱する。
平成17年9月15日、法務大臣 上川陽子(かわかみようこ)」
輝明は委嘱状と保護司バッジを両手で受け取り、深く御辞儀をした。
気持ちが引き締まる思いだ。
委嘱された研修生17人に対し、浅田は、白板を背に長テーブルに腰かけ、保護司としての注意点を説明した。
次に浅田が、四角いプラスチックケースの蓋を開け、バッチを手にした。
「バッジを付ける規制は、ございませんが、上着のエリにつけて頂ければと思います。
皆様が、ご活躍されることを期待します。今日は、長い時間ご苦労様でした!」
輝明は、配布された資料とバッジを手提げカバンに丁寧にしまった。 研修が終わった、新任保護司たちが研修室を出ていく……
「五百旗頭先生!」
テーブルを立った輝明が呼び止められた。先生? この俺が先生……
浅田だった。
「少しお時間大丈夫でしょうか?」研修室を出た所にある面談コーナーに案内された。
「五百旗頭先生、今日は、ご苦労様でした。コーヒーで、よろしいでしょうか?」
そういうと廊下に設置してある、自販機からホットコーヒーを選んだ。
いい香りがして、ドリップされたブラックコーヒーが紙コップに注がれていく。
コーヒーと砂糖スティック、ミルクピッチャーを浅田がテーブルにおいた。
「この販売機のコーヒー意外と美味いんですよ、どうぞ!」
一口すすり浅田が話し出した。
「五百旗頭先生の事は、県警の丹波警部補から伺っております。 若いしこれまで経験された経歴凄いです!
私にできることがあれば、全面的に協力させていただきます。
保護観察対象者の件ですが、来月退院する予定の先生と歳が離れていない女子がいまして、彼女の担当を御願いしようか? と考えています。
詳しくは、正式に決まりしだい、話をさせて頂ければと思っています。 五百旗頭先生には、本当に期待しております!
今後とも、よろしくお願いいたします」
凄く恐縮だった。 俺が先生だなんて、
輝明は出されたコーヒーを一気に飲み干し、頭を下げた。 広島法務総合庁舎3階にある保護観察所を後にした。 確実に日が短くなっている……
外に出ると、夕日の光が金色の矢のように大気を貫き、八丁堀のビル群がオレンジ色に光輝いていた。
4.
文子が亡くなる前「よく頑張った! これでお前が欲しい物を買え!」と、手渡された茶封筒を開けた。
中には1万円札50枚が入っていた。
8年前、高山に乗せてもらったKAWASAKA ZZR1100Dの、衝撃を忘れることができなかった。
中古市場を探し回り、整備された、中古の赤いZZR1100Dを手に入れた。
三国志に出てくる赤い毛色を持ち、矢のように素早い馬、『赤兎馬(せきとば)』と名付けた。
携帯の着メロが鳴り響いた。着信表示は、保護観察官の浅田だった。
「五百旗頭さんの携帯でしょうか?
お世話になります、保護観察官の浅田です。正式に、保護観察対象者が決まりました。
ご足労ですがこちらに出向いて頂き、話をさせてもらえればと連絡させて頂きました。
時間はおかけしません、今週末にでもよろしいでしょうか?」
「週末ですか? そうですねぇ……
金曜日、午後なら都合がつきます」
予定表を確認する様子が伝わってくる……
「それでは、30日の午後、16:00では如何でしょうか?」
昼食時の混雑も落ち着いたときだ、
「了解しました。 それでは、30日の午後、16:00に伺います」
「恐れ入ります。 正面入り口を入られた右側に、内線電話がございます。
内線306浅田まで連絡下さい。
場所はこの前と同じ研修室を出た所にある、面談コーナーで、お話しさせて頂こうと思います。
よろしくお願いいたします」
5.
時計を見た、浅田と約束した30分前だった。 輝明は、赤兎馬にまたがり法務総合庁舎に向かった。
15分足らずで着いた。
お客様駐輪場に赤兎馬を止め、聞いた通り1階にある内線電話をかけた。
「はい、広島保護観察所企画調整課でございます」
女性の声がした。
「3階の研修室を出た所にある、面談コーナーまで上がって来て下さい。すぐに向かうとのことです」
浅田は研修室の前にある、面談コーナーのテーブルの上に必要書類を並べていた。エレベーターを降り、歩いて来る五百旗頭を見つけるなり浅田が口を開いた。
「五百旗頭先生!
ご足労おかけします。
こちらにお掛け下さい」
浅田が1枚の書類を輝明の前に差し出し、対象者の写真を書類の上においた。
本通商店街を歩いていたら、間違いなく芸能界にスカウトされそうな美少女だった。写真を目にした輝明の口から、思わず声が漏れた。
「こんな子が、なぜ……」
「これは身上調査書といって、刑務所及び、少年院でまとめられた資料です。
対象者の罪名や生活歴が書かれています」
近くは、見えにくいのだろう、眼鏡をカチューシャみたいに頭にのせ書面を読み始めた。
「下山(しもやま)ゆうこ、19歳、
窃盗及び傷害にて、家庭裁判所から保護処分として八本松にある、『貴船原少女苑(きふねはらしょうじょえん)』女子少年院に送致され来月、
10月17日(月曜)、9:00退院します。
女子少年院とは読んで字のごとく、女子を収容する少年院です。
被害者は職場の同僚、身体に向けた有形力の行使、暴行により傷を負わせ出血させたとあります。
怒りによる衝動的犯行、反社会的集団との関係は無し、薬物使用も無しとなっています。 最終学歴は中卒、両親もいなく児童養護施設ですごしています」
浅田が真剣な面持ちで話しだした。
「保護司の最大の役割は、『再犯防止に努める』です。
再犯防止に必要なもの3点を挙げます。
1 居場所の確保
(安心安全を確保してあげる事です)
2 責任の自覚
(自分、家族、社会との、つながりを考えさせる事です)
3 出番の提供
(才能の発見と活用です)
彼女の将来・未来は、どうにでも変えることができます!」
輝明は、浅田にタダ爺から聞いた話をした。眼鏡をかけなおし、姿勢を正し浅田がいった。
「その通りです! 名言です!
彼女と五百旗頭先生は、年齢も近いこともあり話が合うと思います。
希望というか御願いがあります。
下山ゆうこには、両親がいません、
つきましては……
身元引受人になって頂けないでしょうか?」
机の上で指を組み話していた浅田が、姿勢を正し頭を下げた。
輝明には、何もかも初めての経験だった。タダ爺がいった、
「人が生きるのは、自分以外の物を生かすためだ」と、いう言葉が耳に響いた。
立ち上がった輝明は、迷うことなく大きな声で、「頑張ります!」といった。
輝明は、純粋に、智吉や文子の為に頑張ろうと思った。
浅田が満面の笑みを浮かべいった。
「五百旗頭先生なら、絶対に大丈夫です! 何かあれば、遠慮なく私にいって下さい。
それと、五百旗頭先生が、赤いKAWASAKA ZZR1100Dに乗っておられるの偶然お見かけしたのですが、
下山ゆうこが退院する10月17日、貴船原少女苑まで、出迎えに、行ってやってはいただけないでしょうか?」
輝明が答える前に浅田は、両手を広げ前に出し何回も振った。
「無理にとは申しません。これは飽くまでも私個人の希望です。
実は、KAWASAKA ZZR1100Dが、憧れのバイクなのです。
自然と一体になるバイクの開放感は、人の心を揺さぶります。 きっと、下山ゆうこ にもその魅力が伝わり心を開くと思うんです。
保護司の活動は、無給のボランティアですが、必要な経費は支払われます。
どうでしょうか先生……
八本松まで、迎えに行って頂けないでしょうか?」
輝明は澄んだ眼差しで、浅田の心を覗き込むように見つめいった。
「逆に自分から、お願いしたいくらいです。了解しました!
責任をもってお引き受けします!
今は、紅葉シーズンで裏山の比治山がとても綺麗です。
KAWASAKA ZZR1100Dに乗せ、彼女に見せたいと思います。
それから、私が焼いたお好み焼きを食べさせようと考えています」
浅田は大きく、ガッツポーズをした。
「流石、五百旗頭先生だ!
丹波警部補がいわれたことだけはある! 彼女、絶対に喜ぶと思います!!」
輝明と浅田は、両手で硬い握手を交わした。
6.
10月17日(月)9:00、朝食をとり、身支度した下山ゆうこは、貴船原少女苑を、退院した。
低い白壁で囲われた広い建物で、茶色い石板に彫られた、『貴船原少女苑』というプレートが目印だった。
指導員に伝えられたのか、下山ゆうこは、赤・黄・青の原色が、散りばめられた派手なダウンジャケットに身をつつみ、ピンクの手提げカバンを持ち、入り口に立っていた。
身長156cm、浅田に見せてもらった、写真通り美少女だった
「君が、下山ゆうこ君か?
俺の名前は新人保護司の、五百旗頭輝明、君の身元引受人になった。
ヨロシク!」 返答がない……
ゆうこは、面倒くさそうな目をし、輝明をにらんだ。
「南区の段原から、お前を引き取りにバイクでむかえに来た。
ほら! ロータリー向こうの、駐車枠に止めている赤いバイクが俺の愛車だ!
KAWASAKA ZZR1100D、相棒の名は赤兎馬という。
今から山陽自動車道を走り、南区の段原に向かう。時間にして約45分だ、手提げカバンをかせ、赤兎馬に縛り付ける」
無造作に下山ゆうこは、無言でカバンを差し出した。赤兎馬は歓迎するように、軽やかなエンジン音を響かせている……
「これから高速道を走る、しっかりとつかまれ!」
今まで感じた事のない柔らかさを、背中に感じた。
「なんだ! この心地よさは?」
心拍数が、上がるのがハッキリわかった。高速料金所で赤兎馬を止めた。
「広島東まで、420円になります」
下山ゆうこは、接着剤でも塗ったように、ピッタリと、くっついて離れない、高速区間は10km、時間にして8分程度だが、全神経を背中に集中させている輝明がいた。
アインシュタインが時間の速度についていった言葉だが、
「ストーブの熱い蓋に触れた1秒は、1年に感じるが、魅力的な女性といる1時間は、
1秒に感じる!」全くその通りだ!
高速道路を走った時間は、あっという間に過ぎ去り数秒に感じた。
「段原の裏山、比治山の紅葉が綺麗なんだ、是非とも案内したい!」
輝明は、比治山公園駐車場で赤兎馬を止めた。 ゆうこが初めて言葉を発した。
「輝明、トイレ……」
まったく頭になかった。
「そうか悪い悪い、あそこがトイレだ!」
ゆうこは、脱いだヘルメットを輝明に渡し、わき目もふらずにトイレに消えて行った。
そうとう我慢していたのだろう……
百年の溜飲が一度に、下りたかのように、すっきりした表情で出てきた。
「静かだし紅葉が綺麗だろ?
この上に公園があるんだ、ガキの頃、よく遊んだ!」
「輝明、お前の家は、ここから近いのか?」
スッキリしたのか、ゆうこがまともに口をきいてくれた。
「よび捨てはないだろうが……」
輝明は、やれやれというふうに、力なく笑った。
「いちおう俺は、お前より5歳も年上だぞ! 小学校でいえば俺が6年生で、お前は1年生のハナ垂れだ!
それと女の子がそんな言葉を使うんじゃない、こりゃ先が長い……」
ゆうこが微笑みながらいった、
「It's a long road ahead.まだまだ先が長いね!」
輝明は目を丸くしていった。
「お前! 施設育ちで中卒だと聞いたぞ! どうして、そんな英語が話せるんだ!?」
英語は苦手で中学生のときに、こんな英語聞いたことがなかった。
ゆうこが簡単げに、答えた。
「難しく考える事はないよ輝明! 英語の、曲を聴いていたら、自然に分かるようになった。 しゃべってる言葉の意味も分かるよ、
貴船原少女苑では、What time is it now?(今何時ですか?)『掘った芋いじるな!』って教わったけど洋画なんかじゃ、Do you have the time? っていってるよ?」
そんな事で英語が話せるようになるのか? もしかしたら、コイツ天才じゃないのかと思った。
「まぁぃぃ、それより、コイツの口の利き方を直すのが先決だ!」
どうも根っから悪い子じゃないみたいだ、
公園のベンチでは、本を読んでいる人、犬と戯れている人、のどかで穏やかな時間が流れていた。
犬を散歩している人の中で、見慣れた顔を見つけた。 丹波だった。
「丹波さん! 今日はどうされたのですか? 平日ですよ!」
犬を躾ていた丹波が振り返った。
「誰かと思うたで! 五百旗頭じゃないか! よう(よく)合うのぉ……
ワシか? 今日は非番なんじゃ!
それより隣におる、ええにょぼ(美人)は誰なら?」
丹波は、小指を立てていった。
「もしかして、ワレのこれか?」
「違いますよ! 丹波さん、名前は、下山ゆうこ、今日、貴船原少女苑を退院し、身元引受人として迎えに行ったところです」
丹波が驚いたようにいった。
「こがな子が、貴船原少女苑に世話になっちょったんか?
人はみかけじゃぁ、分らんもんじゃわ!」そばで話を聞いていた、ゆうこが口を開いた。
「輝明、このオッサンだれ?」
呆れてものもいえない、
「言葉に気負付けろ! と、なんどもいっているだろ? それとこの人は、オッサンじゃない、広島県警の丹波警部補だ!」
横で聞いていた、丹波が腹を抱えて笑った。
「ゆうこちゃんか? 見かけとは全然違う、面白い子じゃのぅ!
この輝明はの、人の事を偉そうにいえん、男なんじゃ、
流れ星の五百旗頭といって、レッドゾーンという族の頭をやっちょったヤツなんよ……」
ゆうこが思い出したようにいった。
「流れ星の五百旗頭……? ほうじゃ!
イケメンの走り屋がおると、ウチらの仲間うちじゃぁ、有名な話じゃったわ!
ねぇオッサン、この輝明が、
流れ星の五百旗頭なん?」
「だ・か・ら! オッサンじゃないといっただろうが!」
丹波が涙を流しながら右手でせいした。
「ほうよ! ほうよ! コイツが、流れ星の五百旗頭よ、ワシとは腐り縁じゃわ!」
丹波が真面目な顔をしていった。
「ゆうこちゃん、コイツがあんたの保護司とは運がエエのぅ……
流れ星の五百旗頭! 期待しちょるで! この子を立派に更生せえよ、ほいじゃぁ!
権八いぬるで!」
丹波は振り向かず左手を大きく上げ、坂道を下って行った。
時計を見たら12:00を少し回っていた。
「ゆうこ、腹が減っただろう?
今から、お好み焼きふみちゃんのスペシャル焼きを食わしてやる。
近くにある会社の常連客で秋葉加奈子さんという人がいるのだが、招待しようと思っている。
昼食の都合を聞いてみる。
これからお前の退院祝いだ!」
ゆうこは、しおらしく首をすぼめていった。
「輝明、じゃなくて輝明さん……
気を使わせてわりぃー」
輝明は、革ジャンの内ポケットから携帯電話を取り出し、加奈子の電話番号をキーインし、通話釦を押した。
絶え間なく呼び出し音が聞こえる……
「ハイ、秋葉です」
加奈子に繋がった。
「五百旗頭です。
加奈子さん、今、電話大丈夫でしょうか?」
気取らない加奈子の明るい声が聞こえた。
「誰かと思うたら、としぞうじゃない、どうしたん?」
「今日は八本松まで、保護観察対象者の子を引き取りに行き、今、帰ってきました」
加奈子は、朝店の前を通ったとき、『今日は臨時休業します』と張り紙がされていたことを思い出した。
「そうか! それで、臨時休業じゃったんじゃね!」
「昼食、何か食べました?」
「今日は天気がエエけん、コンビニ弁当かって比治山公園で昼食にしようかと思っちょったところよね!」
「そうですか、今から店を開けます。
彼女の退院祝いをしてやろうと思ってます。 よろしければ来ませんか?
実は、折り入って相談したい事がありまして……」 加奈子がいった。
「相談って難しいこと?」
「いえいえ、加奈子さんなら簡単なことです。保護司として、彼女の担当を受けたのですが、
コイツ、口のきき方が最悪で、西島食品社長秘書であらされる、加奈子さんに教育して、もらえばなぁー と思っています」
加奈子は、文子の葬儀のとき帳場をしてくれた。達筆及び、礼儀正しさには一目おいていた。
「分かった!
それじゃぁ、今から行く退院祝いか……
それじゃぁ、人数が多い方がエエね!
確か村品さん、今日は有給を取って、休むと先週いようたわ!
村品さんもよんでもエエかね?」
「もちろんOKです!
彼女を連れて、比治山公園にいるのですが、急いで帰ります。お待ちしています!」
「ゆうこ速攻で帰るぞ!
今からお前の退院祝いだ!」
7.
お好み焼きふみちゃんは、ソースが焼けて、うっとりするような香ばしい匂いに包まれていた。
「ガラガラガラ……」
引き戸が開く音がした。
加奈子と村品だった、店に入るなり加奈子がいった。
「としぞうエエ匂いじゃね! 鼻から入って胃袋まで届くこの匂いたまらんわー
それとウチも有給で休むことにした!」
ゆうこは、カウンターの中央に座り、輝明が焼いているのを興味津々な目で、ながめていた。
「加奈子さん、村品さん、
そして我々の新しい仲間のゆうこ、
もう少しで焼けるけんね!」
加奈子は、かけていた赤渕眼鏡を外し自己紹介を始めた。
「ウチは、1丁目にある西島食品に勤めちょる秋葉加奈子、歳は25独身、仕事内容は、こう見えて社長秘書、あだ名は、『カメ子』
そこんとこ、ヨ・ロ・シ・ク!」
加奈子が、期待満々で続けた。
「としぞう、ほいで(それで)今から何を、食べさせてくれるんかね? ぶち(すごく)、楽しみじゃわ!」
「先ずは加奈子さんの大好物!
ウニと菠薐草のソテー(ウニホーレンです!!)」
今度は、村品が唸った。
口に放り込んみ、加奈子がいった。
「しあわせー 永遠に食べ続けられるわ!」
「次は村品さんの大好物、神石牛のサイコロステーキを焼きます!」
今度は、一口食べ村品が唸った。
「うぅーん! 美味い!!!!」
一口食べ、ゆうこが固まっている。
「どうだ、ゆうこ美味いか?
今日はお前の退院祝いだ、
遠慮せずに食え!」
ゆうこの閉じた目から涙があふれた。
「ウチ、生まれて初めてこんな美味いものを食べた。 人は心の底から美味しいと思ったら、涙が出るんじゃね?」
「そうか 美味いか!?」
人が感激するのを目の当たりにすると心底うれしい!
タダ爺がいった、
「相手の喜びが自分の喜びに変わったとき、お前は生まれ変わる事ができる!」
その言葉の意味がよく分かる。
「できたぞ! ゆうこ、お好み焼きふみちゃんのスペシャルを食べてみろ!」
キャベツってこんなに甘かっただろうか? 青海苔による磯の香、甘ずっぱいソース、
とろけたチーズとの融合、プリプリした海老とイカの絶妙な食感、とどめを刺す、広甘藍の甘さ、味の深さが半端ない……
ゆうこが真剣な目でいった。
「輝明さん、お好みの焼き方教えて下さい!」
美味しそうに黙々たべていた村品が、内ポケットにしまっておいた、チケットを取り出した。
「輝明君のように、僕は美味しいものは作れないけど、来月11月19日(土)18:30~ 立町(たてまち)にあるライブハウスの入場券が、ちょうど4枚あります。
みんなで行ってみませんか?」
ちょうど4枚って、村品さんなりに用意していたんだなぁ……
加奈子がすぐに反応した。
「ライブハウスって、どんなところか一度いってみたかったんよ! としぞう、ゆうこちゃん、いってみようよ!!」
八の字眉毛の村品が、うつむいていった。
「最後尾で、いつも一人ぼっちで、コッソリ演奏を聴いているんですよ、
楽しみだなぁー みんなで盛り上がるの!
僕には、ゆうこちゃんへのお祝い、こんな事しかできませんから……」
中学までの学校生活は、最悪だった。
施設育ちだとレッテルをはられ、事件が起きれば、いつも、ゆうこのせいにさせられた。お金を取られたと職場の同僚ともみあいになった。
絶対にそんなことはしていない!
気がついたら作業につかう、木の棒で殴り続けていた。
「何をいったって、自分の事なんか信じてもらえない」一言も弁明しなかった。
未成年だったゆうこは、窃盗・傷害事件を起こしたとし、家庭裁判所から貴船原少女苑に送られた。 今まで自分を取り囲んでいるヤツは、全て敵だった。
でも輝明、加奈子、村品は違う。
他人からこれほど優しくされたことはなかった。 ゆうこは自分に吹く風向きが、確実に変わり始めたのを感じた。
片付けを終えた輝明がいった。
「なぁ、ゆうこ、お前は決して一人ぼっちじゃない、俺たちがそばにいる!
その事だけは、忘れるんじゃないぞ!」
8.
18:00にもなると外は真っ暗になった。秋の日はつるべ落としだ、
「ゆうこ、お前いつまで、おめかししてるんだ! ちゃんとチケットは持ったのか?」
「輝明、ジャーン! これ加奈子さんのお下がり! How do I look? 似合う?」
着飾ることをしない加奈子は、会社も近いこともあり、いつも西島食品の制服姿通勤だった。 私服を着た姿なんか見たことがない、「お下がり!」とかいって、ゆうこの為に、用意したんじゃないか? と輝明は思った。
上は真っ白いニットセーター、下は若草色のロングマーメイドスカートを着こなした、 ゆうこがいた。 超美少女だ!
洒落たことをいってやりたかったが、
「おぉ……」としか言葉が出ない、
「ライブハウスは、ここから徒歩で30分だ、
段原1丁目にある、広島電鉄段原変電所前の歩道で、加奈子さんと待ち合わせをしている。
ゆうこ行くぞ!」
オーラを放っているレディーがいた。
輝明は目を疑った。 加奈子だった。
加奈子の私服姿を見たのは初めてだ!
しかもトレードマークの赤渕眼鏡を、かけていない、輝明と、ゆうこを見つけた加奈子が手を振った。
「加奈子さん、誰かと思いましたよ!」
隣にいるゆうこも、キョトンとしている。
「今日からは、『カメ子』から秋葉加奈子に変身する事に、しました。
よろしくね! 輝明君、ゆうこちゃん!」どうしたんだ、今日は、さっきからビックリする事ばかりだ……
「それでは、立( たて )町( まち )にあるライブハウス『4・14』を目指し参りましょう!」
歓楽街、流( ながれ )川( かわ )通の入り口に、さしかかったときだった。
「おい! おい!!」
大きな声が耳に響いた、安芸爆走群の滝沢だった。
「おい! 五百旗頭! 何事なら?
両手に花か…… 奇麗な姉ちゃんを連れ、ワリャー 大したもんじゃのぅ!?」
ゆうこが、滝沢をにらみつけている。
「おいおい! お嬢ちゃんそがに(そんなに)にらみんさんなや!
かわいい顔が、だいなしじゃー!」
ゆうこを後ろに隠した。
「この子に触るんじゃない!」
「パシ吉のことを、丹波にチクリャぁあがって! お礼は、たっぷりさせてもらうけんのぅ! こっちの、奇麗な姉ちゃんは誰なら?」
加奈子を指さしていった。
「ウジ虫どもに答える必要はない!」
「なんじゃと! オドリャー」
滝沢の取り巻きが吠えた。
取り巻きを制し、滝沢がいった。
「ほいでワリャー 今なんしょうるんなら?」
「俺か? この子の保護司をしている」
眉間にしわを寄せ、滝沢がいった。
「保護司とは何なら?」
手を大きく広げ、輝明が返した。
「保護司は、社会奉仕の精神をもって、犯罪をした者の改善及び、更生を助けるとともに、犯罪の予防のため世論の啓発に努め、もって地域社会の浄化をはかり、個人及び、公共の
福祉に寄与することを、その使命とする!」
「何じゃと? 笑わせるなや、もと族の流れ星の五百旗頭が!」
滝沢が腹を抱え笑いころげた。
「それで滝沢、お前は今なにしてるんだ?」
滝沢が血走った眼で睨みながらいった。
「ワシか? ワシは赤龍会の若頭、城崎さんに世話になっちょる!
おう! 五百旗頭の後ろに隠れちょる可愛い子ちゃんよ、こっちへこいや!」
「この子に触るなといっただろうが!」
「五百旗頭! おどりゃぁー 痛い目にあわんにゃわからんようじゃのぅ……」
滝沢が力に任せに、ゆうこの手をつかもうとしたとき、加奈子がいった。
「滝沢さんとか、いわれましたよね?
それくらいにされたら如何ですか?」
「何じゃぁと、この尼が! 笑わせるんじゃないで、怪我をしとうなかったら、引っ込んじょけや! エエ気になりゃぁあがって!!」
加奈子に掴みかかろうとした滝沢が、宙を舞った!
「おどやぁー 糞尼!!」
滝沢の取り巻きが襲い掛かった、取り巻きどもが次々と宙に舞う……
通報を受け、赤色灯を回転させ、けたたましいサイレンを響かせパトカーが、逃げ道を潰すように停車した。
「滝沢!! ええ加減にしちょけよ!」
大きな声が響いた。 丹波だった。
「ありゃー 五百旗頭じゃないか!? おっと! 君は確か、ゆうこちゃんとかいったよのぅ、どうしたんなら?」
冷静に身だしなみを、整える加奈子を見つけた丹波の態度が変わった。
「これはこれは、秋葉先生! こんなところでどうなされましたか?」
「秋葉先生?」
いろんなことがありすぎて、もう訳がわからない…… 丹波がいった。
「五百旗頭、比治山神社の近くに、合気道の秋葉道場があろうが、このお方は、そこのお嬢さんで合気道4段だ! ワシはお嬢さんに合気道を教えてもろちょる、先生お怪我はございませんでしたか?」
身だしなみを、整えた加奈子がいった。
「滝沢さん、赤龍会の構成員とかいわれましたよね? 丹波さんこのような人を、野放しにされるの、如何なものかと思いますよ?」
「城崎のフンドシ担ぎをしちょる、こいつが赤龍会の構成員じゃと?」
丹波が大笑いをした。 滝沢の首根っこを力いっぱい掴み上げ丹波がいった。
「滝沢、赤龍会の大紋を語り、何を息まいちょるんなら! 話はゆっくり署で聞かせてもらうわ! 城崎にどういう躾をしちょるんか、聞いてみんにゃいけんのう……」
綿菓子が溶けたように、小さくなった滝沢と取り巻きをしょっ引き、パトカーが、去っていった。 時計を見たらすでに19:00を回っていた。
「ゆうこ加奈子さん! ライブハウスに急ぎましょう!」
ライブハウス『4・14』では会社帰りに直接きた村品が、最後部で演奏を聴いていた。
インディーズバンド(インディーズ=アマチュアバンド)風車maniaの『輝く想い』の曲が終わった。
音楽は音を聞く、でもライブを楽しむ要素は耳だけではない、目の前の演奏姿を見たり、ライブハウスの熱気を体感したり鳥肌が立った。
「村品さん! 遅くなりました!」
黒い出勤カバンを片手に、たたずむ村品に話しかけた。 八の字眉毛をさらに下げ、髪を8:2に分けた村品がいった。
「何かあったのかと心配しましたよ、体の五感で体感する楽器演奏は、加奈子さん、ゆうこちゃん、輝明君、迫力があるでしょう!? 演奏している近くで楽しみましょう!」
そういうと3人を、最前列に引っ張っていった。 風車maniaがMC(曲と曲の合間のトーク)をしていた。 ゆうこがいった。
「村品さんMCって、master of ceremonyの略のことよね?」
「そうかなぁー? 僕には分からないや!」ステージの上から、二人のやり取りの一部
始終を見ていたリードボーカルがいった。
「今日は見かけない叔父さんが、若い女の子を連れていらしてます!」
村品とゆうこが、ステージに上げられた、照明が熱い、脂汗が拭いても拭いても溢れだす。 そんな村品にリードボーカルがいった。
「叔父さんの趣味は何ですか!?」
「村品さん、頑張って!!」
ステージ下の輝明と加奈子が叫んだ。
困りきった表情の村品が声を絞り出した。
「僕の趣味は、曲を作りギターの弾き語りです……」
マイクを握っているリードボーカルがいった。
「最近、どんな曲を作られましたか!?」
「…………」
しばらく沈黙していた村品が口を開いた。
「最新作は『春雨』という曲です。 現在、ここにいるゆうこちゃんを、題材にした曲作りの真っ最中です」
「裕也(ゆうや)! そこのギター持ってきて!!」
リードボーカルが、ギターを村品に差し出しいった。
「叔父さん! これで、自慢の曲を聴かせて下さい!!」
究極に困り果てた顔をした村品に、大きな声が飛んだ。
「村品さんの曲、聴かせて下さい!
頑張って!!」輝明と加奈子だった。
観念し、ギター演奏椅子に腰かけた村品が、弾き始めた……
哀愁漂うメロディーと共に見た目では、とうてい想像だにできない美声が、ホール中に響き渡った。
あれほど騒がしかったライブハウス会場が、一瞬に水を打ったように静まり返っている。横で聴いていたリードボーカルも呆然として身じろぎもしない、ゆうこも固唾をのんで、聞き入っている……
「村品さん…… す、凄すぎるよ……」
ステージ下では輝明と加奈子が、目を大きく見開らいたまま固まっていた。 曲が終わり惜しみない拍手が、いつまでも、いつまでも村品におくられた……
帰り道、輝明がポツリといった。
「今日は、本当に唖然とすることだらけだったなぁー」
加奈子もゆうこも、全く同感だった。
『春雨』
歌 : 村下孝蔵
作詞・作曲:村下孝蔵リリース: 1981年
【ストーリー 3】 著: 脇 昌稔
【ストーリー 4】へ続く..
この小説はフィクションです。
実在の人物や団体などとは、
関係ありません。